繊細CHOFF🐠

繊細で面倒くさい女の子の考えと日常

アラサー繊細CHOFFの経験と考えを書いていきますが、自分が親になってもおかしくない時期で、自分が親だったらという立場と、まだ親になっていない子供としての立場の両方の考えを書いています。人それぞれの考えがあるので、読んでくださる方の中には、きっと納得のできない内容もあるかもしれませんが、一人の繊細な考えの女の子の考えとして読んでくださると嬉しいです🐠

初めての経験(恋・いじめ)🐠(生誕〜小学校)

 今の時代、ネットという便利かつ怖いツールがあるので、きっと私の時代のいじめよりはもっと深刻なんだと思う。だけど、いじめというものは、人によっては人を成長させることもできるが、多くは人を悲しく、辛く、時には「死」というものに繋がります。

今でもまだ覚えている、私の記憶と感情を書いていきます。

 

正直今は親になってもいい年齢にもなったのでかけることですが、親の発言、行動はかなり子供に影響を与えます。

きっと私のママは今で言う「HSP」なんだろうと感じている。

ママの発言はかなり私に影響を与えてきました。今のHSP CHOFFを育て上げました。

パパは怒ることが多かったのでいまだに苦手意識があります。(避けてきています)

パパと仲がいい娘ってすごく疑問だった。(今でも疑問)

生まれてから保育園

私CHOFFは1993年誕生日と同じ時間に生まれました。

長女としてママのお腹からカニのように泡を吹いて生まれてきたそう。

まん丸の私は6歳くらいまで見た目アンパンマンみたいな子供でした。

男女問わずどんな子とでも仲良くできていた。

小学校

はじめての恋といじめ、発達障害の疑いを持たれる

小学校1年生

小学校の時はじめてのお友達づくりに何も抵抗はなかった。

人見知りのない純粋な女の子。むしろ周りの子は私がどんどん話しかけるので逆に引いていたのはよく覚えている。そこから、「なんでみんな私と話したがらないのだろう」と疑問を持つように。

小学校2年生

はじめて人を好きになった。机の中にラブレターと呼ばれるものを入れるのが流行りだった。

はじめて男の子からもらった時、ママとぱぱに見せました。

今でも覚えている内容「中年になったら付き合って欲しい」と。

「中年っていつや?」とママに聞いて「おばさんや」と言われて「先長いねん」

ママ、おばあちゃんからは「またラブレターもらったら見せてね」と言われ、もらえる分だけ嬉しい物なんだ と勝手に解釈。

ここから恋するCHOFFが誕生。

人を好きになること、好きにさせることが得意になっていく(Bitch)

小学校3年生

男の子と仲良くなる方が、楽しくて仕方がなかった。放課は外でドッジボールしたり、サッカーしたり。周りはみんな男の子。これがCHOFFの運動神経を鍛えてくれた。

ドッジボールではこの訓練で肩がとても強くなった。

だけど周りの女子は心の成長が早かったみたい。男の子と遊んでいる私をターゲットにいじめを始めた。

上靴を片方隠される。

そんな小さないじめから6年生までどんどんエスカレートしていく。

小学校4年生

かなりケチケチ精神で育ってきている私は、人が持っているものにすごく興味を持つようになりました。

当時は、匂いの出るペン、消しゴム、きらきらペンなどたくさんありました。

みんなはどこからそういう情報を得てくるかわからないけど、羨ましくてたまに借りパクもしようとしていた。

タダで手に入れれるなら? と言う犯罪につながるような考えも出てくるように。

多分そう言うのも原因とあってか、女の子からは「陰口」と言うものをされるように。

終いには、グループ化された男女のグループからいじめの標的にされた。

私は、ママには全て話すようにと言われていたので、ママに話していた。

ママからは「なんであんたがいじめられるの?理由は?誰?」と言われたが、わかるはずもない。

誰?と聞かれてから、その子を意識するようになった。そこから、人間不信の始まりだった。

今の私なら「ほっといた方がいいよそういう子は。友達は一人いればいいよ。」とアドバイスするだろう。

そこから、被害妄想がひどくなり、ちょっとしたいじめでも過大にママに話すようになっていた。少しでも自分が被害にあっていることを認めてほしかったから。

そこでママはカウンセラーに相談したところ「発達障害の一種 アスペルガー症候群」ではないか、と言われかなり落ち込んだそう。

私がいじめの報告をするにつれ、ママは「娘は発達障害なんだ」と自分で思い込んでいたらしい。

だけど学校は行っていた。あまり深く考えるタイプではなかったみたい、当時は。

きっと寝たら忘れるタイプだったんだと思う。だけど上靴を確認するのだけは怖かった。

小学校5年生

ドラマを見るようになり、私はかなり影響されやすい性格だと言うことがわかった。

5年生はとにかくいじめがひどかったのは覚えている。

ママは学校に訴えに行ったりしてくれた。

多分酷すぎて、5年生の記憶は本当にない。

ママから20歳すぎて言われたのは、「あの時よく自殺しなかったね」と。

小学校6年生

すごく明るい性格の私だったが、5年生の時からかなり暗くなったそう。外で遊びたいのに、いじめられる、そんな中、お絵描きだけしているくらすの子がいて、その子は本当に目立たなかったからいじめの標的にすらならなかった。その子とずっと一緒にいた。そんな私の変わった性格を見てママは「やられたらやり返す気持ちでおらんと」と毎日のように言った。それもあってか、かなりの負けず嫌いのCHOFFが育てあがった。

都合のいいように群がっている女子達が羨ましかった。私をいじめている子達がある日突然「あの子きもいよね」といってきた。そこで嬉しさが勝ってしまったんだろう。

一緒にその子をいじめてしまった。

 

小学校の時は、「死ね」と言われても別に死のうとは考えたことがなかった。

今思えば、マスメディアなどで簡単に「死」を取り上げるような社会になってから、

私は自殺と言うものを身近に感じた。

 

一つだけ変わらない性格は、恋に関して。

小学校2年生からずっと誰かしらの好きな子がいたこと。

たまに「この子好きなんだ」と他の女の子から聞いた時は、その男の子を意識して勝手に好きになっちゃったりもした。(悪い女の子だったな)

 

ママの良かったことは、話せる環境を作ってくれたこと。話を聞いた後の行動は置いといて、親子で話せる環境と言うのは、大切だと思う。

パパとの間に溝があるのは置いておいて、今でもママにまず話すようにしている。